はじめに

4/26から5/4までバチカン市国、イタリア ベニス、フィレンツェ、ローマ、フランス モン・サン・ミッシェル、パリを訪問しました。

バチカン市国、イタリア、フランスのモン・サン・ミッシェルは初めての訪問でしたので、様々な発見がありました。

このブログでは、私自身が見聞きしたそれぞれの町のお勧め、特に魅力的な場所をご紹介します。今後、ご旅行やご出張で、イタリア、フランスを訪問する予定のある方で、何処へ行ったら良いか考えている方、少し迷っている方のお役に立てればと思っています。

これからローマ、パリへ行かれる方に特に注意頂きたいポイントを3点、ご紹介させて頂きます。

①地下鉄の中で日本語で「スリにご注意下さい」のアナウンス

旅行会社の方にスリにご注意を!とくどいほど言われましたが、まさかローマの地下鉄のホームでこんなアナウンスが、しかも日本語でされているのは驚きました。よほどスリが多いのでしょう。くれぐれもスリにはご注意下さい。お財布は絶対にズボンの後ろのポケットには入れない様に。お財布や貴重品は腹巻きの様なポシェットに入れて常に目が届く場所に身につけていて下さい。パリの地下鉄ではローマの様に、日本語での「スリにご注意下さい」のアナウンスは聞きませんでしたが、食事が遅くなり、夜11時過ぎに地下鉄でホテルに帰る途中、パリでは強面の3人組の大男の警備員が見周りをしていて、何番線で帰るのか?と声をかけてきて、親切に方角を教えてくれました。スリだけでなく、ひったくりもある様です。ご注意を。

②駅のトイレが有料

イタリア、フランスでレストランや美術館に入ればトイレは無料ですが、公衆トイレは基本有料です。トイレに入るのに1ユーロを払う必要があります。外でトイレを利用される方は1ユーロのコインが必要ですのでお忘れなく。もし、近くにトイレがない場合は近くのレストランに入って1ユーロを渡し、トイレを使わせて下さいとお願いすれば、使えますが、無断でレストランのトイレを使うのはお控え下さい。

③自転車専用道路

自転車専用道路が車道の横にあり、そこを歩行者が歩いてはいけない規則があります。日本にも自転車道路がありますが、そこは専用道路ではなく、そこを歩いていても自転車は人をよけて行くだけで厳しく注意されることはないですよね。しかし、フランスではこの道は自転車専用道路ですよ!と厳しく注意されます。フランスでは歩道横の自転車専用道路を歩かないで下さい。

今後もこの旅を振り返り、改めて思ったことを、逐次、追記してゆきます。

ベネチアのゴンドラ船着場
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出発

4/26 羽田12:25発のITA Airways AZ793便でローマに向けて出発しました。14時間45分の長旅です。

機内食はまず出発してから約1時間後、下の写真にあるパスタでした。

ATA Airwaysのランチ

それから到着の2時間前にこちらの軽食が出ました。

ATA Airwaysの朝食
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ローマ到着、ベネチアへ乗り継ぎ、ベネチア到着

ローマに無事到着!

ローマ空港

ローマ21:40発、ベネチア行きのITA Airways TZ1473便に乗り継ぎました。ローマからベネチアまでは1時間5分の短いフライトでした。

ベネチア空港

ベネチア到着は深夜。空港からバスでホテルへ

ベネチア空港ホテルへ
Novotel Venezia Mestre Castellana
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ベネチア訪問

4月27日の朝、ベネチアのホテルをチェックアウトした後、この黄色いバスでベネチア観光、その後、同じバスで4時間かけてフィレンツェへ移動しました。

ベネチアからフィレンツェ、ローマへの移動につかった黄色いバス

ベネチア(ちなみにベネチア、ヴェネチアはイタリア語で、ベニスは英語です) は5~6世紀。湾の周辺に暮らしていたヴェネト人が蛮族に追われて、ラグーナと呼ばれる葦の生い茂る湿地帯に逃げ込んだことから始まりました。

人々は土台として硬い丸太を湿地帯に打ち込み、その上に石を積んで建物をたてて街を築きました。

そしてベネチアは7世紀末から共和国となり、海上貿易の中心地として大繁栄し、14~15世紀には全盛期を迎え巨万の富を得ることになり、「アドリア海の女王」と称されることになりました。

以下は私が撮影したサンマルコ寺院です。サンマルコ寺院の歴史は、西暦828年にベネチアの商人がエジプトのアレキサンドリアから聖マルコの遺体を持ち帰ったことに始まります。聖マルコの遺体を祀るために建てられたサンマルコ寺院は、東ローマ帝国の影響を受けてビザンティン様式で建設され、改修の度にロマネスク・ゴシックそしてルネッサンスなどそれぞれの時代の様々な建築様式の影響を受けてきました。

サンマルコ寺院

入口中央のファザード上部にモザイク画で描かれているのは「最後の審判」です。

サン・マルコ寺院入口の『最後の審判』

下の写真はリアルト橋です。水の都ベネチアを代表する観光名所のこのリアルト橋は「ベネチアとその潟」の一部として世界遺産に登録されています。その大きさと白さが特徴的で、別名「白い巨像」とも呼ばれています。

リアルト橋

リアルト橋の下を流れる大運河カナル・グランデ」は、世界で最も美しい運河と言われていますが、本当に美しい運河でした。

大運河「カナル・グランデ」

カナル・グランデに船がゆったりと走る様子を私が撮影した以下の動画でどうぞご覧ください。

下の橋はため息橋と言われています。ため息橋はドゥカーレ宮殿と牢獄を結んでいる橋ですがこの橋からの眺めは囚人が独房に入れられる前にベネチアの美しい景色を見れる最後であるため、ため息をつくことから生まれた名前だそうです。

溜め息橋

ベネチアといえばゴンドラが有名ですね。今回、この船着場からゴンドラに乗り、ゴンドラ遊覧を楽しみましたが、船頭さんはとてもフレンドリーな若い方でした。

ベネチア船着場
ベネチアのゴンドラ

ベネチアの特産物はベネチアグラスです。ここにはベネチアグラスの職人さんが大勢います。私が撮影したベネチア職人の素晴らしい技(2分51秒の動画です)をご覧下さい。

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フィレンツェ訪問

4月27日の午前中にベネチアを観光した後、午後に3時間45分かけてフィレンツェへ移しました。フィレンツェではこちらのホテルに宿泊しました。

Grand Hotel Mediterraneo

フィレンツェはメディチ家が作ったと言っても過言ではないかもしれません。そしてメディチ家はパトロンとしてたくさんの芸術家をこの町で育てました。

当主コジモ・デ・メディチ、ピエロ・デ・メディチ、そしてロレンツォ・デ・メディチの代まで、メディチ家は繁栄が続き、フィレンツェにはルネサンスが開花し、ボッティチェッリ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロらが輩出されます。

しかし、その後修道士サヴォナローラがメディチ家批判をはじまり、メディチ家はフィレンツェから追放されます。

しかし、一度フィレンツェを追放されたメディチ家ですが、スペイン王と和解が成立し1530年に再びフィレンツェに帰還、1532年アレッサンドロ・ディ・メディチにトスカーナ大公の位が与えられ、名実ともに、メディチ家がフィレンツェの支配者になりました。

しかし、1737年アンナ・マリア・ルイーザの跡取りがいなくなり、彼女を最後にメディチ家は途絶えました。

青い空にそびえるヴェッキオ宮殿の前に広がるこのシニョーリア広場を見ることができました。

ダヴィデ像のレプリカを始め、噴水や騎馬像で囲まれる屋外美術館と言われる、フィレンツェの中心の広場です。


下の動画の噴水は1563年にアンマンナーティというメディチ家のお抱え芸術家が、コジモ一世をモデルとして作ったものですが、ギリシャ神話に登場する海を支配する王様ネプチューンが海馬に乗って凱旋している様子を表しているそうです。

フィレンツェのドゥオモとして知られる、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は「フィレンツェ歴史地区」に含まれる世界遺産であり、キリスト教カトリックの教会です。この名の意味は「花の聖母マリア」。その美しい名の通り、建築史上最も美しいと今も讃え続けられるオレンジ色の丸いドーム状の屋根が有名です。

ドゥオモ

そして、一番最後に完成したのが下の写真にある正面の白いファサードです。

ファサード

こちらは私が撮影したファサードの向かい側にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の黄金の扉です。この扉は「天国の門」と呼ばれています。

フィレンツェは映画「インフェルノ」のロケ地としても使われた有名な観光地ですが、トム・ハンクスとフェリシティ・ジョーンズも映画の中でこの門を通り抜けました。

天国の門

フィレンツェのウフィツィ美術館では至宝ボッティチェリの『ビーナスの誕生』、『プリマヴェーラ』、『受胎告知』の実物を見ることが出来ます。

美術館ではフラッシュは禁止ですが、自由に写真を撮っていいそうです。これら写真はすべて実際にこの美術館で私が撮影したものです。

ヴィーナスの誕生
プリマヴェーラ
受胎告知

ウフィツィ美術館にはこれらの至宝以外にもメディチ家が収集した、たくさんの名作が展示されています。

こちらは私が撮影した美術館の回廊ですが、この建物にはメディチ家の執務室があったそうです。

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フィレンツェからローマへ

4/28午前フィレンツェでの観光の後、同じ黄色のバスで4時間かけてローマへ移動。こちらのホテルにチェックインしました。このホテルは日本大使館に近く安全な地域にあり、美味しいレストランも近くにあります。おすすめのホテルです。

Romanico Palace Hotel

翌朝、この写真にあるホテルのレストランで朝食をとりました。ローマ市街が見渡せるとても眺望の良いレストランでした。清々しい朝でした。

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バチカン市国訪問

ローマに入った翌日の朝一にまずバチカン市国を訪問しました。バチカン市国は世界最小の国で、ローマ市の中にありますが、ローマからバチカン市国に入る際にはパスポートは不要です。

毎朝7:30amから下の写真にある様に長い行列ができて、1時間以上待たされることもありますので。事前に予約されて入場されることをお勧めします。まずはバチカン美術館から入場します。バチカン市国の入り口は下に添付した地図の11番にあります。

私は事前に”Get Your Guide”というサイトから事前に8:15am入場ツアーを予約して入場しましたがそれでもすぐに入れる訳ではなく、10分ほど予約のあるツアー客の短い列を並びました。

尚、バチカンを訪れる際には、服装に決まりがあります。短いスカート、ワンピース、ショートパンツなど露出の多い服装は避けるべきです。また、肩を隠す必要があるので、露出の多い夏服を着ている場合は、スカーフを持参するとよいでしょう。帽子をかぶっている場合は、バチカン内の建物に入る際には脱いでください。

バチカン市国入場を待つ人々

以下の3枚の写真は私が撮影したサンピエトロ寺院とその内部の写真です。

サンピエトロ寺院
サンピエトロ寺院内部#1
サンピエトロ寺院内部#2

サンピエトロ寺院に続くシスティーナ礼拝堂では写真撮影は一切できません。礼拝堂に入る前、外にあるパネルの写真を撮ることは可能なので自身のスマホで撮りました。

ミケランジェロの最高傑作の2つ、システィーナ礼拝堂の主祭壇を飾る壁画『最後の審判』と、天井画『天地創造』を私が撮りましたこちらのパネルの写真でご覧ください。

最後の審判
天地創造

以下は今回事前予約した”Get Your Guide”事務所の待合室の壁にあったバチカン市国の地図を私がスマホで撮影したものです。この地図をご覧になるとバチカン市国への入り口は⑪、システィーナ礼拝堂は⑧、上記のサンピエトロ寺院とドームは④、⑤です。

バチカン市国の地図
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ローマ訪問

4月29日の午前はバチカン市国を訪問した後、午後はローマの観光名所を歩いてまわりました。

ここでローマの歴史について少しおさらいをさせてください。

ローマ帝国は紀元前753年から紀元後395年まで1000年以上にわたって古代ヨーロッパで繁栄した大国です。紀元前8世紀頃にラテン人によってテヴェレ川下流域に成立した都市国家が始まりとされていて、王政、共和制の時代を経て、帝政となり、96~180年の「五賢帝時代」と呼ばれる時代に最盛期を迎えますが、395年には東西に分裂、ローマ帝国は滅亡します。分裂後、西ローマは476年にゲルマン人によって滅亡、東ローマ帝国はその後も続きますが、オスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落によって、1453年に滅亡します。

古代の絶頂期に100万人だったローマの人口はその後の混乱と衰退で減少。 中世のころには3、4万人になりますが、現代ローマの人口は約280万人ですから、古代ローマの最盛期よりもずっと大きい都市になったといえます。

ローマの観光名所はほとんど徒歩圏内にありますが待ち時間を考えると、歩くオプショナルツアーを午前、午後両方いれると一日中立っていることにもなりますので、歩きを減らし、無理のない観光プランを考えることをおすすめします。地下鉄やバスを上手く使って移動したほうが良いでしよう。

下の写真はローマ最大の観光名所コロッセオです。私が訪問したこの日は青い空にとても映えていました。この建物は大きな地震がきてもびくともしないそうです。

それでは何故、コロッセオがこの様な形になったのでしょう?現地のガイドが説明してくれました。コロッセオのレンガは自然にはがれ落ちたのではなく、ローマ帝国崩壊後、はがされて、バチカン市国のサンピエトロ寺院の建設に使われたそうです。

コロッセオ

下の写真は古代ローマで演劇は歌などが上演されていたマルケッルス劇場です。今ではこの上階が高級マンションになっていて、分譲されているそうです。

マルケッルス劇場

下の写真はローマの市庁舎です。この庁舎の裏に古代ローマの元老院の遺跡があります。現代の政治と古代ローマの政治が背中合わせになっているのは大変興味深いです。

ローマ市庁舎

1953年に公開されたローマを舞台とした映画『ローマの休日』で有名となった下の写真にある真実の口はサンタマリア・イン・コスメディア教会にあります。いつも長い列があり、訪問される時間帯にもよりますが、待ち時間は30分以上はみておいた方がよいでしょう。私が訪問したのは4月29日の午後2時でしたが待ち時間は30分でした。

真実の口

下の写真はトレビの泉です。数あるローマの噴水の中でも、最も大きく美しいといわれています。私がスマホで撮った写真、一緒に撮った動画も合わせてご覧ください。

トレビの泉ではコイン投げが有名です。正しいコインの投げ方は右手でコインを持ち、トレビの泉にむかって後ろ向きに立ち、自分の左肩超しに投げ入れてください。こんな言い伝えがあります。

コイン1枚の場合、もう一度ローマを訪れることができる。(これが一番有名ですね)

コイン2枚の場合、大切な人とずっと一緒にいることができる。

コイン3枚の場合、今の恋人、妻と別れることができる。間違って3枚投げないでください (笑)

トレビの泉
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ローマからパリへ

4/30 ローマからパリへの移動は空路。ローマ8:35AM発のITA Airways AZ316便でパリへ向かいました。ローマからパリまでは2時間10分のフライトです。パリシャルル・ド・ゴール空港には10:45AMに無事到着しました。

ローマ空港パリへのフライトの搭乗ゲート
パリ シャルル・ドゴール空港到着
Terminal 1には早くもパリオリンピックの五輪

今回、パリのシャルル・ド・ゴール空港でコンコルドの機体を発見しました!

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モン・サン・ミッシェル訪問

パリ シャルル・ド・ゴール空港に到着後、空港からすぐにバスでモン・サン・ミッシェルへ向かいました。モン・サン・ミッシェルまでは5時間のバスの長旅。途中、ランチとトイレ休憩がありましたが、パリからは遠いですね。

モン・サン・ミッシェルに到着する直前に羊が放牧されている場所からモン・サン・ミッシェルが見えるきれいな写真がとれました。モン・サン・ミッシェルではたくさんの写真を撮りましたが、この写真がベストだと思います。

モン・サン・ミッシェルは、聖オベール司教が大天子ミカエルの「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを聞いて、708年に海上にそびえ立つこの岩山に修道院を建てたのが始まりといわれています。

11世紀から13世紀にゴシック様式の僧院が建てられ、13世紀に入って今の形が完成しました。


英仏百年戦争(1337~1453)の時には、イギリスの侵入を防ぐ要塞としても使われたそうです。

フランス革命(1789)の時、修道院は廃止され1863年まで、国の監獄として使用され、1865年にナポレオン3世が再び修道院として復元しました。

この修道院へは、満潮時に島全体が海水でつつまれ島への行き来ができませんでしたが、1870年にフランス本土と島をつなぐ道路ができました。

今では修道院はフランス西部で有数の観光地となり、1979年にはユネスコの世界遺産に登録されました。

パリからはバスで片道5時間近くかかりますので、日帰りではなく、出来れば対岸の下の写真のホテルに一泊されることをお勧めします。

Relais Sant Michel Hotel
Relais Saint Michel Hotelのレストランからみたモン・サン・ミッシェル

モン・サン・ミシェルには名物のふわふわのオムレツがあります。モン・サン・ミッシェルを訪問される際に是非ご賞味下さい。

モンサンミッシェル名物ふわふわオムレツ

又、モン・サン・ミッシェルでもう一つ名物があり、それはバタークッキーです。こちらも是非ご賞味下さい。とっても美味しいです。

モン・サン・ミッシェル名物バタークッキー

こちらはモン・サン・ミッシェル内にあるこのバタークッキーのお店です。

モン・サン・ミッシェルのバタークッキーのお店

私が早起きして撮影したモン・サン・ミッシェルの夜明けの動画をどうぞご覧ください。5月1日の朝日は6:45AMにモン・サン・ミッシェルの右から上がりました。

2024.05.01 モン・サン・ミッシェルの夜明け
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