4月27日の午前中にベネチアを観光した後、午後に3時間45分かけてフィレンツェへ移しました。フィレンツェではこちらのホテルに宿泊しました。
フィレンツェはメディチ家が作ったと言っても過言ではないかもしれません。そしてメディチ家はパトロンとしてたくさんの芸術家をこの町で育てました。
当主コジモ・デ・メディチ、ピエロ・デ・メディチ、そしてロレンツォ・デ・メディチの代まで、メディチ家は繁栄が続き、フィレンツェにはルネサンスが開花し、ボッティチェッリ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロらが輩出されます。
しかし、その後修道士サヴォナローラがメディチ家批判をはじまり、メディチ家はフィレンツェから追放されます。
しかし、一度フィレンツェを追放されたメディチ家ですが、スペイン王と和解が成立し1530年に再びフィレンツェに帰還、1532年アレッサンドロ・ディ・メディチにトスカーナ大公の位が与えられ、名実ともに、メディチ家がフィレンツェの支配者になりました。
しかし、1737年アンナ・マリア・ルイーザの跡取りがいなくなり、彼女を最後にメディチ家は途絶えました。
青い空にそびえるヴェッキオ宮殿の前に広がるこのシニョーリア広場を見ることができました。
ダヴィデ像のレプリカを始め、噴水や騎馬像で囲まれる屋外美術館と言われる、フィレンツェの中心の広場です。
下の動画の噴水は1563年にアンマンナーティというメディチ家のお抱え芸術家が、コジモ一世をモデルとして作ったものですが、ギリシャ神話に登場する海を支配する王様ネプチューンが海馬に乗って凱旋している様子を表しているそうです。
フィレンツェのドゥオモとして知られる、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は「フィレンツェ歴史地区」に含まれる世界遺産であり、キリスト教カトリックの教会です。この名の意味は「花の聖母マリア」。その美しい名の通り、建築史上最も美しいと今も讃え続けられるオレンジ色の丸いドーム状の屋根が有名です。
そして、一番最後に完成したのが下の写真にある正面の白いファサードです。
こちらは私が撮影したファサードの向かい側にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の黄金の扉です。この扉は「天国の門」と呼ばれています。
フィレンツェは映画「インフェルノ」のロケ地としても使われた有名な観光地ですが、トム・ハンクスとフェリシティ・ジョーンズも映画の中でこの門を通り抜けました。
フィレンツェのウフィツィ美術館では至宝ボッティチェリの『ビーナスの誕生』、『プリマヴェーラ』、『受胎告知』の実物を見ることが出来ます。
美術館ではフラッシュは禁止ですが、自由に写真を撮っていいそうです。これら写真はすべて実際にこの美術館で私が撮影したものです。
ウフィツィ美術館にはこれらの至宝以外にもメディチ家が収集した、たくさんの名作が展示されています。
こちらは私が撮影した美術館の回廊ですが、この建物にはメディチ家の執務室があったそうです。